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小樽野球協会球史(1945-1955)

  • 執筆者の写真: otarukyobaseball
    otarukyobaseball
  • 3月30日
  • 読了時間: 2分

更新日:3月30日

 「樽協」として小樽市民に愛され、育てられてきた小樽野球協会。その発足は昭和のと言われています。

 しかし、大正時代には「札樽実業団野球大会」や「全道実業団野球大会」(その後「全道樺太実業団野球大会」となる。)が開催され、市内からもユニオンやスパルタなど複数のチームが参加していたというから、そこに「樽協」の名がなくとも、「樽協」の起源は大正時代にさかのぼるとも言えます。

 長い歴史を有する中で、昭和20(1945)年から昭和30(1955)年までの11年間は、エースの河、捕手の目時が「黄金バッテリー」と言われ、川崎、須川、友田らの攻撃陣が「ダイナマイト打線」と言われ、都市対抗野球に2度、北海道代表として出場した「樽協」の全盛期でした。

 昭和23(1948)年には市内の経済界が中心となって建設期成会が設立され、市民の出資によって「樽協」のホームグランド桜ケ丘球場が建設されました。また昭和30(1955)年の都市対抗野球に出場する「樽協」の壮行試合では、桜ケ丘球場が熱狂的な市民であふれるなど、また、娯楽の少ない時代に市民の応援も最高潮に達しました。

 こうした樽協の全盛期に焦点を当てたのが本書であり、次の内容で構成されています。

  昭和20年 実業団野球の復活  

  昭和21年 都市対抗野球の再開

  昭和22年 黄金バッテリーの誕生

  昭和23年 打倒太洋と悲願達成

  昭和24年 ホームグランド誕生

  昭和25年 結成記念大会の連覇

  昭和26年 古豪と新鋭が伯仲

  昭和27年 企業チームの台頭

  昭和28年 戦力の新陳代謝

  昭和29年 辛抱の年

  昭和30年 最後のクラブチーム代表



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